離れた場所でひとりで生活している80代半ばの母が、6年ほど前に私の家に遊びに来てくれたことがある。
「遊びに来た」と書いたが、厳密には私の看病に来てくれたのだったが。
実はその頃、私はひどい転び方をして腰を強打し、腰の骨を折ってしまっていた。
腰の骨を折るということは想像のはるか上をいくほどしんどい事態で、痛みでほとんど歩けなかった。
ノロノロ歩きの80歳の母に付き添われた私は、これまたさらにノロノロ歩きで病院へ向かった。
帰り道、ちょっと離れたところにショッピングセンターが見えたので「お昼でも食べていこうか」ということになった。
タクシーに乗るほどでもないビミョーな距離である。
これは歩くしかないとふんだ私たちは、亀のようにノロノロと100メートルほど歩いては立ち止まり、腰掛けられそうな場所を探しては休憩し。。。を繰り返していた。
そこまでしてたどり着いたショッピングセンターだったが、運悪く入ったレストランは写真とは似ても似つかないショボイしろものを出す激ショボ店だった。
「ついてないねー」なんて言いながらエスカレーターを降りると、よくあるチェーンの洋服屋さんが連なっていた。
「マリベルちゃんに、なにか秋物買ってあげるよ。もし腰が大丈夫そうなら選んでおいで」
そう言われた私は、風を通さないスモークピンクの上着を買ってもらった。
洋服を選ぶにも5分と立っていられないので、ちょっと見ては外の椅子に腰掛け、また服を物色しては椅子に戻り。。。を繰り返しながらのショッピングだった。
周囲の人からは「あの人何だろ、まだそんなに歳でもないだろうにヨチヨチ歩きで」と思われていたことだろう。
80歳の老人とヨチヨチ歩きの中年女の二人組。
それでも私たちはなんだかとっても楽しかった。
母に「人って案外、それなりに楽しく生きていけるものなのかもしれないね」というと、
「そうよ、それなりに楽しく幸せに暮らせるものなのよ」と返ってきた。
私はあのときなぜあんなにも楽しかったのか。
体は痛くて思うように歩けないし、ランチもハズレくじを引いた。
それなのに、幸せを感じていたのだ。
それは紛れもなく、私のことを一番に思ってくれている母と一緒にいたからなのだと思う。
「どこへ行くかが重要なんじゃない。誰といるかが大切なんだ」とはよく耳にする言葉だが、本当にそう思う。
今年の夏は、いつもより母と長く一緒にいる時間をつくろうと思う。
そしていろんな話がしたい。
すでに亡くなってしまった父とも、もっとたくさん話をしておけばよかったと悔やむときがある。
同じ後悔をしないように母とはたくさん話をして、笑い合える一瞬一瞬を大切にしたいと思う。
親と別れるときがくるなんて、子供の頃には想像もしなかった。
でも、永遠に別れずにいることは不可能なんだ。
自分だって、いつかは娘の元を去らねばならない。
そんなのイヤだけど、生きものだから仕方がない。
最近では、愛猫が星になってしまうときのことを考えると泣きたくなる始末。
まだまだ若い猫なので先のことだが、それでも別れは必ず訪れる。
私も年をとったのか、こういったことを本当によく考えるようになった。
そういう思いに引っ張られないように、あれこれ挑戦して忙しくしているのかもしれない。
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