私は「ちゃんと歩く」ということを、37歳になるまで知りませんでした。
幼い頃から母に「ちゃんと歩きなさい」と言われ続けてきましたが、どう歩けば注意されずにすむのか分かりませんでした。
というのも、「先天性股関節脱臼」という病気のせいで私は左足に比べて右足が少し短く、かかとを地面にしっかりつけて歩くのが難しかったのです。
はたからみると、足をものすごく引きずっているわけではないけれど、右肩がちょっと下がっていて、お尻を振って歩いている感じだったと思います。
それでも中学2年生まではふつうに体育の授業も受けていましたし、痛みというものもほとんど感じてはいなかったと記憶しています。
そして中学3年生のある夏の日、体育の授業にクラスの誰かが遅れてきたことを理由に「連帯責任」として校庭を5周だったか10周だったか忘れましたが、とにかく無理矢理走らされたのです(昭和の悪しき教育です)。
授業後、教室に戻ろうと階段を登っていたそのときのことです。
突然、右足にまったく力が入らなくなりました。
コンクリートの階段に足を着けなければ登れないということは頭では分かっているのですが、足がグニャリとなってしまって着地できないのです。
友達がすっ飛んで先生に伝えに行き、しばらくすると母が真っ青な顔で迎えに来ました。
母は体育の先生に「娘には持病があるから、ムリだけは絶対にさせないでください」と重々お願いしていたそうなのですが、どうやらその先生はそこまで重く捉えていなかったようです。
翌日、赤ちゃんの頃からお世話になっている病院を訪れると「即入院」との診断が下されました。
そのとき私は中学3年生。
中3の夏といえば、受験に最も大事な時期です。
「入院期間はどれくらいになるんですか?」
そう尋ねると先生は、「退院はおそらく冬頃になるね」と言います。
「そんな!勉強ができなくなる。。。」
泣きそうになる私に向かって先生は、
「勉強よりいまは体を治すことの方が大事だ」
と、当たり前のことを言います。
(そんなことは言われなくったってわかってる!)
私はその場で大泣きしました。
私は真面目な生徒でした。
どうしても行きたい憧れの高校がありました。
そのときの成績からいくと合格可能性は高かったのですが、まったく安心はできませんでした。
なぜなら、それまで部活動のために勉強に真剣に取り組んでこなかった層が夏前に引退し、その後で急に伸びたりするからです。
うかうかしていては、合格は難しい。
そんな状況でした。
とはいえ、私の意思とは関係なしに手術日が決まり、あれよあれよというまに私は寝たきりの生活を強いられるようになりました。
寝たきりだったのは1ヶ月半。
食事時などにベッドの頭を少し上げることくらいはできましたが、基本は寝たきり。
一日に一度だけ、看護師さんが体を拭いてくれるのですが、背中を拭く時などは傷口に支障をきたさないよう数名がかりで私を横向きにするというそれはそれは大仕事でした。
そして辛かったのは、排泄です。
思春期真っ只中であるというのに、排尿はすべて「おまる」に。
しかも、ずっと寝たきりなので便意が生じにくく、何度浣腸をされたかわかりません。
(勉強がしたい。。。)
そう思ってはいるものの、ずっと仰向けに寝たきりなので、テキストなどを持っても腕がプルプルしてしまって数分しかもちません(今なら気の利いた台のような物が売っているかもしれませんが、当時はそんなものはもちろんありませんでした)。
(このままだと、周りの子たちに抜かされてしまう!)
私は焦りました。
でも焦ったところでどうにもなりません。
そんなある日、担任の先生がお見舞いにやってきてくれました。
その先生は理科の先生で、ちょと爬虫類っぽい風貌と、何を言っているのかよくわからない喋り方から、生徒たちに嫌われていました。
「今度、学力テスト(正式名称を覚えているのですが、それを書くと私の出身地がバレてしまうので、ここでは学力テストとします)があるのだけれど、どうしますか?」
先生はそう尋ねました。
「もちろん受けます!!」
私は即答しました。
その学力テストは年に数回受験することができるのですが、夏の回は志望校合格に向けての自分の立ち位置を知るためにも欠かせないものです。
しかし困ったことがありました。
当時、私は4人部屋で生活をしていました。
基本的には皆、整形外科疾患で入院している人たちなので、内臓などは元気です。
なので、お見舞いの人も多く訪れ、活気ある(?)病室だったのです。
そんなところで学力テストを受けられるはずもありません。
(受けたくても受ける場所がない。。。)
そんな私の気持ちを知った母は、看護師さんにかけあってくれました。
そして無事、学力テストをひとりきりの空間で受けることができるようになったのです!
「で、どこで受けるの??」
笑顔で尋ねる私に母はひと言、
「手術室だって」
「え。。。???」
そうなんです!
15歳の私は、使用していない手術室の片隅にベッドごと運ばれ、そこでたったひとりで学力テストを受けたのです!
緑色のタイルに囲まれて。
あの、でっかくて丸い照明も不気味です。
しかも、ずーっと仰向けで。
問題用紙と解答用紙をプルプルいう腕で支えながら。
もちろん、文字はヨレヨレ。
仰向けなので、頭もよく回らず。
戻ってきた試験結果を見て、私は激しく落ち込みました。
数学の偏差値が10も下がっていたのです!
(これじゃあ、ダメかもしれない。。。)
(よりによって、なんで私がこんな目にあわなきゃいけないの?)
海の底に沈められたような落ち込み方でした。
私はあの頃、母にかなりつらく当たっていたと記憶しています。
母は私に謝るばかり。
謝られると、余計にむかついてきます。
母は私にこう言いました。
「病気をさせちゃってごめんね。ママのせいだね。できることなら、代わってあげたい。でもそれはできない。マリベルちゃんは、あんな暗くて寂しい手術室でたったひとりで学力テストを受けた。そんな子はめったにいるものじゃない。本当に勇敢な子だよ。神様は必ず見ててくれる。やけにならずに、一緒に乗り越えようね」
そう涙ながらに言われても、幼かった私のイライラは収まらず。
思えば、かなりの気苦労を母にはかけてしまった気がします。
8月の頭に手術を受け、退院したのは12月でした。
退院後、気合を入れて勉強に励んだものの、約4ヶ月ものあいだ思うように勉強ができなかったわけです。
正直、受かるかどうかは神のみぞ知るといったところでした。
試験日当日、私は松葉杖をついて受験会場へと向かいました。
この本番のことは、私はなにも覚えていません。
記憶にはっきりと残っているのは、合格発表の日です。
母と志望校の掲示板を見に行きました。
私の番号が、そこにありました。
隣で母は泣いて喜んでいました。
私よりも、母が喜んでいるようでした。
そのとき私の頭に浮かんだのは、あの学力テストを受けた暗くて寒くて気味の悪い手術室でした。
あの手術室で無理して学力テストを受けなくても、最終的には合格していたかもしれません。
でも、いまの私に反骨精神のようなものが備わっているとするならば、それは間違いなくあの手術室で養われたものです。
あの日の体験は、自分という人間を語る上では欠かせないものだと感じています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
皆さん、良い一日をお過ごしくださいね😊
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