人って、いつ老人になるんでしょうね。
年齢のくくりではなく、自分がもう「老人」になったなと感じる瞬間の話です。
先日『その話は今日はやめておきましょう』という本を読んでいて、とても興味深い一節があったので、少しご紹介したいと思います。
『その話は今日はやめておきましょう』井上荒野
主人公ゆり子は69歳で、夫は72歳。
二人で馴染みのインドカレー店で昼食をとることになります。
夫はいつものチキンカレーを、ゆり子は<マトンビリヤニ>なるものを注文します。
二人が食べていると、すぐ隣の席に若い女性二人が通されます。
二人はメニューを見ながらあーでもない、こーでもないと大きな声で話しています。
すると一人がこう言います。
「このビリヤニっていうの、どんなのかな。おいしいのかな」
「おいしいわよ、とっても」
ゆり子は思わず声をかけてしまいます。
するとその若い子は仕方なさそうにお礼を言いはしたものの、二人は顔を見合わせてクスクス笑い始めたのでした。
帰宅したゆり子は、先程の女性たちのクスクス笑いを思い出します。
思い返しながら、ゆり子は自分も少し笑ってみる。気に病んでいるわけでもなかった。ただ気づいてしまったのだった。自分がもはや老人であるということに。老人になる瞬間というものがあるとすれば、それがさっきだったような気がした。
この一節に、私はハッとしました。
見知らぬ他人になれなれしく声をかける。
無意識にした自分の行動に、ゆり子は「老人になる瞬間」を感じたのですね。
他人に話しかけるハードル
私はこの一節に膝を打ちました。
たしかに、歳を取ると人は他人に気安く声をかけるようになります。
私もバス停などで立っていると、前に並んでいるおばあさんによく話しかけられます。
イヤホンで音楽を聴いていてもです。
そんなときには、私は愛想よく話し相手になります。
なぜなら、私の母がやはり見知らぬ他人に気安く話しかけるタイプだからです。
もちろん、年を取ってからのことであって、若い頃は引っ込み思案だったと聞いています。
母はよくこう言っています。
「この年になると、今更友だち付き合いなんてするのは面倒くさいのよ。家に呼ばれたり呼んだりするのも気を遣うし疲れるの。出先でたまたま出くわした人とその場だけでちょっと話してさよならするのが丁度いいの」
母は、決して連絡先などは交換しないと言います。
その場でちょっと話して、「じゃあまたどこかで😊」と言って別れるそうです。
人は誰とも話さないと心を病むと言いますよね。
元気でいるためにはちょっと話をする相手が必要だけれど、友だち付き合いをするのは疲れるし面倒くさい。
だから、高齢になると人はたまたま居合わせた人に気安く声をかけるようになるのかもしれませんね。
私もたまに、「あのドラマに出てる女優なんだっけ…?名前がどうしても出てこない」などという会話が聞こえてくると、思わず「それは◯◯ですよ」と言いたくなりますが、グッと堪えています笑
この話を娘にしたところ、「ママはまだグッと堪えられてるから若いんだよ。その自制がきかなくなったときが、おばあさんになった瞬間なんだろうね」と言われました。
まだしばらくは自制がききそうです😂
影響力
先日、『マチネの終わりに』という映画に関する記事を書きました👇
この映画では、福山雅治さん演じる世界的に有名なクラシックギタリストの師匠として、古谷一行さんが出演されています。
古谷一行さんは演奏後に腕をお湯で温めてほぐしながら、「老いとは、影響力を失うことだ」と語ります。
<あの人みたいになりたい>
<あの人から学びたい>
<あの人の音楽を聴くと元気をもらえる>
そう思われることがなくなったときが、「老人になる瞬間」ということなのかもしれませんね…
いつまでも人(家族を含む)に何かしらの影響を与えることのできる人間でありたい。
心からそう思います。
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