先日、『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』という2019年公開のアメリカ映画を観ました。
ひとことでいうと、「イケてる子たちの仲間に入ろうと孤軍奮闘するも、まったくうまくいかない無口なZ世代の中学生女子の物語」です。
Z世代とは、1995年中盤以降に生まれた、デジタルネイティヴ世代(生まれたときからネット環境を前提とした生活をしている世代)を指します。
私はふだんアメリカ映画をほとんど観ないのですが、この映画はあらすじを読んでピーンときたため、観てみたのです。
中学生の話ですが、私のようなおばさんでも心に刺さる部分がありました。
今日は、この映画を元に、私が感じたことを書いていきたいと思っています。
『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』あらすじ
(ネタバレは避けられませんので、今後観るご予定のある方は、続きは読まないでください。また、登場人物のセリフは「大体こんなことを言っていた」くらいに思ってください)。
原題は『Eighth Grade』。アメリカでは中学最終学年のことを「8年生=Eighth Grade」というようです。
この映画の主人公は、中学3年生のケイラ。
ケイラは無口でちょっぴり太っている。
そんなケイラは、せっせとYou Tubeに「毎日がステキになるライフスタイルアドバイス動画」をUPしている。
肝心のアドバイスの内容は、「実践した結果、いまの自分がある」というものではなく、あくまでも「理想とする自分を演じたうえでのアドバイス」である点がポイント。
たとえばケイラは、「自分らしく生きることが大切。自分らしく生きるには、周りの人達に惑わされずに、ありのままの自分でいることが大事」と熱く語っている。
しかし、実際のケイラはというと、SNSをチェックして「いいね」を押すことに余念がないうえ、周りからどう見られているかということを非常に気にしており、「変わりたい」と強く願っているのだ。
動画で語っている内容と、実際の姿の間にはおおきな隔たりがあるのである。
そんなケイラの動画の視聴回数は、軒並みゼロか1なのであった。。。
さて、中学校生活も残すところあとわずかとなったところで、ケイラは「学年で最も無口な子」という不名誉な賞に輝いてしまう。
そんなケイラは、「学年で最もきれいな瞳」という賞を授与されたエイデンという男子に密かに憧れている。
ある日、「学年で最もきれいな瞳」賞をエイデンと並んで授与されたケネディというイケイケ女子の誕生日パーティーに招かれる(ケネディは母親に言われて、いやいやケイラを誘った)。
パーティーで浮きまくったケイラは家で大泣きするも、残り少ない中学生活で自分を変えようと、さまざまな方法でエイデンやケネディに近づいていく。
それと同時に、自分が進学する予定の高校の先輩の紹介で、高校生の男子・女子にも積極的に絡んでいくのであった。
そんなケイラを心配そうに見守るお父さんに対して、ケイラはぶっきらぼうな態度を取り続ける(どんなに冷たくあしらわれても、娘を気遣い続ける優しい父親が実に切ない)。
果たしてケイラは、憧れのイケイケ女子になることはできるのか…という話です。
映画の感想
自分に敬意を払わない人に払う敬意がもったいない。
イケイケ女子のケネディとその取り巻きの、ケイラに対する態度がとにかくひどい!
ケイラが話しかけても顔は見ずに、ずーっと携帯を見ています。
ケイラがあげた誕生日プレゼントを一瞥し、バカにしたように「これ、なんなの?」とひと言。当然「ありがとう」の言葉もありません。
ケイラは、パーティーに招いてくれたことへのお礼を伝えるためにケネディに手紙を渡すのですが、受け取るときもケイラの顔は見ずにずっと携帯を見ています(手紙もきっと読まずに捨てたことでしょう)。
そして、イケメンモテ男子のエイデン。
ケイラはエイデンの気を引こうと話しかけるも、エイデンもやはりケイラの顔を見ずにずっと携帯ゲームをしています。
そして、ケイラがやっとの思いでエッチな話題を振ると、信じられないほどの食いつきを見せるのでした。
ケイラは、エイデンのために、エッチ分野の研究をするなど振り回されます。
見ていてハラハラするし、あちらの中学生はとんでもなくませているなぁと正直閉口しました。
ケネディもエイデンも、ケイラのことを「人」として見ていません。
そんな人間を相手に、笑顔をふりまき必死に仲良くしようとがんばるケイラは、私の目には心底痛々しく映りました。
もともと内向的で無口な人間が、イケイケに話しかけるのに、どれだけの勇気を必要とすることか。
「変わりたい」と願い孤軍奮闘するケイラでしたが、結局はすべてが空回りし、状況は悪くなっていくばかり。
卒業式の日、ケイラは意を決して、ケネディに再び話しかけにいきます。
ケネディは、相変わらずケイラの顔を見ません。
そんなケネディに、ケイラは一気にまくしたてます!
「やぁ、ケネディ。私はあなたにお礼の手紙を書いたのに、それに対する返事も感想もなかったわね。私はあなたにずっと感じよく接してきた。それなのに、あなたはずっと私に対して感じが悪い。人には感じよく接するのがマナーよ。それから、私があなたの誕生日にあげたゲームだけど、あれものすごく面白いのよ。そんなふうにカッコつけてないで、やってみればいいのに。バカね」
そう言って、立ち去るケイラはとてもかっこよくて、すっきりとした顔をしていました。
そのうえ、ケイラはこのセリフのあいだ、一度もケイラを見ていませんでした。
そうです。自分に敬意を払わない人間を見つめてやる必要などありません。
ケイラ、大正解!と拍手したくなりました。
自分をひとりの人間として見てくれる人と
最終的にケイラには男友達がひとりできます。
彼氏ではなく、あくまでも友人。
それは、あのケネディのパーティーでひとりぼっちでいたケイラに話しかけてきてくれたゲイブという子でした。
ゲイブはケイラに一緒に遊ばないかと提案し、ちゃんとケイラの名前も尋ねてくれました。
少し変わった地味めの男子ではあるものの、ケイラをひとりの人間として扱い、敬意を払っています。
最終的にケイラは、大事にすべきなのはゲイブのような子との関係なのだと気付くのでした。
おわりに
「自分を変えたい」と願うのは、ケイラだけではないでしょう。
私はいまではもう思いませんが、若い頃はそれこそ変わりたい変わりたいと毎日思っていました。
「変わりたい」と思うことは良いのですが、自分を犠牲にして周りに合わせることでは、本当の意味で変わることはできないのだなと感じました(この映画の女子たちを見ていて、なんとなくママ友とかって、こういうのありそうだな~と思いました)。
周りがどうこうではなく、自分自身との対話を通じてでしか、「変わる」ためのヒントを得ることはできないのではないでしょうか。
ちょっとヘビーな映画でしたが、観てよかったです。
最後に、ケイラを見守り続けるお父さんからのひと言を。
「ケイラ、パパはお前が本当に可愛い。お前がイライラしていると、そりゃ悲しいが、だからといってお前への気持ちは変わらない。そのイライラは「状況」が生み出しているだけであって、お前はずっとお前なのだから」
娘の存在自体をまるごと慈しむお父さん。
親の心とは、まさしくこういうものなのです^ ^
★映画の公式HP👇
映画『エイス・グレード』公式サイト|9月20日(金)ロードショー
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回、ここでお会いしましょう。
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