最近、私の周りで「自分は物事を0か100かで考えてしまう」という趣旨の発言をよく耳にしたり目にしたりします。
最初に耳にしたのは、Twitterのあるフォロワーさんの呟きでした。
「自分はなんでも0か100かで考えてしまう。何かを毎日がんばろうと決めて、一日でも実行できないと、もうどうでもよくなって投げ出したくなる」
こんな内容でした。
それを読んだときには、「私にもそういうところがあるかな」と漠然と感じた程度だったのですが、最近では「いや、違うな。私は0か100かでは考えない」そう思うようになりました。
今日は、この「0か100か」で物事を捉える"考え方のクセ"について書いてみたいと思います。
「0か100か」で物事を考える人
Twitterやブログで見かけたのは、だいたいこんな感じの内容でした。
- 英語の勉強を毎日続けようと決めたのに、数日サボってしまったら、なんだかどうでもよくなってしまいやめてしまった。
- ブログを毎日書くと決めたのに、数日バタバタしていて書けなかった。そしたら自分がダメな人間に思えてきてやめてしまった。
- ダイエットをしようと決めたのに、友人に誘われてケーキを食べてしまった。そしたらタガが外れて暴食してしまった。結局ダイエットは挫折。
- 早起きして勉強しようと決めたのに、つい寝坊してしまった。「今日は失敗だ!」と思ったらやる気がなくなり、結局まったく勉強をしなかった。
「なにかを毎日、または定期的にやろうと決めた」が、「一度それに失敗した」。
するとなんだかどうでもよくなって、最初にした決心を放り出してしまった。
つまり「100やろうとしていたけれど、つまずいてしまい、0にしてしまった」ということですね。
これは実にもったいないですね。
たとえ30でも40でも実行していたら、0よりも遥かに成果に繋がっていたはずだからです。
理想としている自己像
ネットで「0か100か」で物事を考える人について検索をかけると、「自己肯定感が低い」、「発達障害の可能性がある」などと出てきます。
私には発達障害の知識はありませんし、「0か100か」で物事を考える人が自己肯定感が低いのかどうかも正直判断がつきません。
ただ思うのは、「理想としている自己像」と「現実の自分」の隔たりを許すことができていないんだな…ということです。
「理想としている自己像」こそが素晴らしいのであって、「現実の自分」はダメ、と思っているのかな~と感じます。
でも思うんですよね。
「よし!がんばるぞ!」と思えた時点で、すでに素晴らしいんだって。
人のせいにばかりして、なんの努力もしないくだらない人は、そんなふうに思いませんもん(あ、言っちゃったw)。
「がんばるぞ!」って思えただけで、すごいことです。
前を向いているからです。
そこから、一歩一歩前進していけたらいいんじゃないですかね。
0からいきなり100進まなくても、まずは10、次は20って進めば。
「0か100か」で考えない理由
この記事を書くに際し、私もいろいろ振り返ってみたんですけど、やはり私は「0か100か」では物事を捉えていないと考えるに至りました。
なぜか。
理由は二つあります。
- 「人生は思うようにはいかない」と知っているから。
- 語学をずっと続けているから。
それぞれについてご説明させてください。
「人生は思うようにはいかない」と知っているから
物事を「0か100か」で考える人は、理想の自分になると決意してなにかに取り組んだのだけれど、ちょっとした障害があったことがきっかけで、「ええいやめたやめた!」となってしまうのだと思います。
でも、そもそも人生ってそんなに思い通りにいきますかね?
私は、そうは思いません。
どんなに努力しても報われないことだらけですし、病や怪我のせいで思ったような道に進めないこともあります。
自分より能力的に劣っているような人が自分より良いポジションに就くのを目の当たりにすることもあります。
本当に、理不尽なことだらけですよね。
思い通りにはいかないものと、半ば諦め(?)ているので、自分にも過剰な期待はしていません。
100やるぞ!と決めたところで、実際にできるのは50くらいなものでしょう。
それでも0よりははるかに実行できているわけです。
そんな自分を認めてあげて、「意外とやるな。50も進んでるわ!」と自分を褒めてあげてもいいのではないでしょうか。
語学をずっと続けている
私が「0か100か」で物事を考えない理由には、語学をずっと続けているということも関係していると思います。
語学を勉強されている(または、勉強された)方ならお分かりいただけるかと思いますが、語学力というものは一朝一夕で身につくものではありません。
それこそ、何年もの研鑽が必要です。
私は今ですらフランス語を大学で教える立場になりましたが、ここまでくるのに膨大な年月を費やしました。
必死に覚えても頭から抜け落ちていく単語との格闘の日々が続きました。
私は大学に入ってから勉強を始めたのですが、当然のように帰国子女の人たちはペラペラ話せるわけです。
そんな子たちを横目に、愚直にコツコツやるしかありませんでした。
100やったから、100伸びるわけではなく。
100やっても、30くらいしか話せるようにならない日々が続きました。
でも、ある日突然、口をついて話せるようになっている自分がいました。
よくいわれるように、語学は直線で伸びていくものではなく、階段状に伸びていくものなのです。
つまり、停滞期間が長く続き、その停滞期間に耐えることができて始めて、次のレベルに到達できるのです。
英語や韓国語も勉強してきたので、この感覚は確かだと思っています。
停滞期間すなわち「思い通りにいかない時期がある」ということを知っているので、私は「0か100か」という考えにはなりにくいのだと思っています。
思い通りにできない自分を認めること
人生なんて、しょせん思い通りにはいきません。
邪魔が入って当たり前なのです。
ですから、何かを決意したとして、それが思うようにいかないのも、これまた当たり前。
「理想の自分」にすぐにたどり着けないのも、当然なのです。
中途半端な状態の自分も認めてあげることができれば、生きるのもラクになるはずです。
中途半端だとしても、確実に前を向いて歩き続けてさえいれば、いつか理想の自分にたどり着けるのではないでしょうか。
少なくとも、私はそう信じています。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
次回もまたここでお会いしましょう!
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