いきなりの告白ですみません。
このブログで「○○が嫌い」とハッキリ書いたことはまだないのですが、繊細さんの本に、HSPは嫌いなものは嫌いと言った方がいいというようなことが書いてあったので、今回実践してみました。
読んでくださっている方のご家族・ご友人の中に体育教師をされている方がいらしたら本当に申し訳ないのですが、これは私のブログなので正直な気持ちを出してみた次第です。
もちろん「体育教師」を十把一絡げにすることはできません。
中にはきっと素晴らしい先生もいらっしゃることでしょう。
ただ、私が出逢った「体育教師」がしょうもなかっただけです。
ですので、私は「体育教師」をされている方すべてを敵に回そうとしているわけでは決してありません。
現に、いま思い返せばお一人だけ、かなりまともな体育の先生がいました。
書いているこの瞬間に思い出しました。
人は、ふつうに良い人よりも、嫌な人間の方が強く記憶に残りますから、当然のことなのかもしれません。
というわけで、今日は私が体育教師が嫌いだった理由についてお話したいと思います。
きっと同じような経験をされている方がいるはずです。
今すぐにはムリだとしても、この記事が何年か先に必要な方のもとへ届くことを願いつつ。。。
体育教師が嫌いだった理由
杖を使う高校生
私が嫌いでたまらなかったのは、高校1,2年のときの体育教師です。
以前このブログで、私は股関節に持病があり、0歳、3歳、15歳、37歳のときに手術をしたことを書きました👇
15歳のときというのは中学3年生のときです。
夏から4ヶ月間入院し、退院したのは12月でした。
退院時には松葉杖をついていましたが、その後は高齢の方がよく使っているタイプの杖を使うようになりました。
私はこの杖がイヤでイヤで。。。
想像してみてください。
若い子が、おばあさんみたいな杖をついて通学している姿を。
4月になると私は高校生になりましたが、相変わらず杖を使っていました。
入院期間のうち1ヶ月半も寝たきりだった私は、筋肉がすべて落ちてしまい、杖なしで歩くことは難しい状態だったのです。
体育の授業はすべて見学
体育の授業はすべて見学していました。
歩くこともままならないのに、走れるわけがありません。
見学だからといって教室にいるわけにもいかず、体育着を着てグラウンドや体育館に集合しなければなりません。
クラスメートはみな、思春期特有のはちきれんばかりの肉体をしています。
体育の授業を受けている彼女たちはみな、キラキラと輝いていました。
そんな姿を毎度まいど日陰に座って見ていなければいけないのですから、私は毎回とても憂鬱でした。
体育教師によるひいきと悪口
その体育教師は、運動神経のいい子をひいきしていました。
バスケ部やテニス部で活躍しているようなタイプの子ですね。
そういう運動のできる子達は、当然のことながらその教師を慕っていました。
一方、その教師は私のことを「本当は体育ができるのに、サボっている」と思っていました。
なぜか。
私のクラスには、私よりもひどく足をひきずっている子がいました。
私と同じく、股関節が悪い子でした。
それなのに、その子は体育の授業を受けていたのです。
その子は、幼い頃からその状態で症状が止まっていたようで、手術を受けたりもしていなかったと聞きました。
一方、私は10時間以上にも及ぶ大手術を受け、その経過観察中だったのです。
その体育教師には、そのあたりの事情が飲み込めなかったようで、他の生徒たちに「マリベルはサボってるだけだ。あいつよりも足の悪い〇〇だってがんばって授業を受けているのに!」と悪口を言っていました(その生徒たちから聞きました)。
そして、悪口を言われるだけではなく、私はその教師からほぼ存在を無視されていました。
気遣いの言葉などをかけられたことは一度もありません。
その教師の関心事は、バスケ部やテニス部の子たちとじゃれて遊ぶことだけだったように思えました。
HSP気質が強まった
そんな日々を送るうちに、私は他のクラスメートが自分をどう思っているのかが気になって仕方がないようになってしまいました。
(クラスメートのみんな、私のことを「サボり魔」だと思っているのかな)
(あの先生がまた私の悪口を吹聴していたらどうしよう)
(そういえば、みんなあまり私に話しかけてきてはくれないな。。。)
(みんな、自分とは異質な人間だと思っているのかな。。。)
こんなことばかり考えていたのです。
今思えば、何も気にすることはなく、堂々としていればよかったのです。
私はサボっていたのではなく、医者から運動を禁止されていたのですから。
でも当時はまだ子供だったので、他の子たちと同じことができない自分が情けなくてたまらなかったのです。
常に周りの視線が気になり、自分が周りからどう思われているかを気にしていました。
この時期につらい思いをしたことが、私のHSP気質を強めた気がしてならないのです。
では、どうすればよかったのか?
あの頃に戻れるとして、ではどうしたらよかったのか。
今思えば、もっとふてぶてしく、堂々としていてもよかったのかなと思います。
しかし、生来のHSP気質がありますから、それは難しかったような気がします。
あのとき体育教師がもっと○○だったら。。。
親が学校側にもっとしっかり○○してくれていたら。。。
こんなことを思っても仕方がありません。
自分以外の人間はコントロールできないのですから。
あのときの羞恥心・屈辱・惨めさは、言葉で表すことがとても難しいです。
私はなんのために、あのような思いを味わったのでしょう?
考えても答えは出ません。
ひょっとしたら、あのときのことをこうして文字にすることで、同じような思いをして苦しんでいる人の助けになるため?
わかりませんが、届くといいなと願いながら書いてみました。
辛くて惨めな思いをされている方へ
自分のせいではないのに、辛くて惨めな思いをされている皆さん。
あなたはひとりじゃありません。
辛くて本当に悔しいけど、いまだけだと思って耐えましょ。
今いる世界は永遠じゃありません。
いつか必ず出口が見えてきます。
私がそうであったように。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回、ここでお会いしましょう。
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