HSPにとって、一番避けて通りたい存在が、デリカシーのない人だと思います。
デリカシーのない人とは、「思ったことを何のフィルターにも通さず、オブラートにも包まず、そのまんま口から吐き出す人間」のことです。
このようなデリカシーのない人と関わってしまった場合、繊細な気質をもつHSPは、ほぼ間違いなく苦しむことになります。
ということで、今回はデリカシーのない人との付き合い方について書いていこうと思います。
デリカシーのない人【筆者の体験談】
母親との関係
このブログに何度か登場している私の母親。
デリカシーがないといってしまうと、ちょっと言いすぎな気もしますが、「いま自分が思っていることを、この状況で、そのまま相手に言ってしまってもいいか」という判断が苦手な人であることは間違いありません。
例えば、こんなことがありました。
離婚した後、人生をやり直したいと願った私は、ある超難関資格に挑戦しました。
膨大な時間を勉強に費やし、それこそ心身がむしばまれるほどの努力をしました。
それだけ努力したにもかかわらず、残念がらその資格試験に合格することはできませんでした。
PCの合格掲示板で、自分の番号がないことを確認した私。
両親と同居していたので、結果を二人に伝えなければならない。
(なんて伝えたらいいんだろう…)
私は悩みに悩みました。
(結果をそのまんま伝えるしかないな)
そう決心し、まずは母のもとへ向かいました。
「試験、ダメだったよ」
私がそう告げると、母はすぐさま「あら、残念だったわねぇ」と言いました。
そこまではよかったのです。
そして数分の沈黙ののち、
「今頃、合格した人たちは祝杯を挙げているだろうねぇ」
と言ったのです!
私は愕然としました。
死にものぐるいで勉強した結果、残念ながら失敗してしまった人間に告げるには、あまりにも残酷な言葉です!
その他にも、大学院受験のときにちょっと無理目な大学院を受験したいと申し出たら、
「金をドブに捨てるようなものだから、やめときなさい!」
とも言われました。
(結果としては、私はその大学院に合格しています)。
母は、自分が思ったことをそのまま相手に伝えたら、相手がどう思うかという想像力に少し欠けるところがあります。
ちょっと言い方を変えたり言葉を飲み込めばいいのに、それができないのです。
対称的に父は、私の気持ちを理解してくれる人でした。
「試験、ダメだったよ」と結果を告げたときも、
「そうか… まぁ、いいじゃないか。またがんばればいいんだよ😊」
と言ってくれました。
その瞬間、私は泣きじゃくってしまいました。
そんな父も、もうこの世にはいません(こうやって思い出して書いているだけで、涙が出てきてしまいます…)
デリカシーのない他人との関係
ここからは、デリカシーのない他人についての私の体験談を書いていきます。
容姿に関する発言
デリカシーのない発言として思い浮かぶのは、容姿に関する発言ではないでしょうか。
私は一時期、ストレスで少しぽっちゃりしていた時期があります。
その頃、異性から次のようなことを言われました。
- 職場で、(業務の一環として)食事会への参加を呼びかけていたときに、私の顔を見て「キミ、食いそうだなぁ~!!」という男性社員。
- 職場で同期が私に向かって「A男はマリベルさんに興味があるみたいだよ。俺は痩せてる子がタイプだからちょっとA男とは違うなぁ~」
こういう発言をするやから、皆さんの周りにもいませんか?
言わなくてもいいことを平気でいう、おバカさんな感じですね(笑)
こういうデリカシーのなさに関しては、「こいつ、バカだなぁ」と思うことで、胸のつかえがおりることもあります。
しかし、簡単には胸のつかえがおりない発言もあります。
胸のつかえがおりない発言
私が忘れられないのは、社会的にいわゆる権力者の地位にある人の次のような発言です。
「僕はね、ストレスに強いんだよ。というか、ストレスというものをまったく感じない。言いたいこと言ってるからね。だから、好きなものを好きなだけ飲んだり食ったりしても病気になることはないだろう。万病の元は、ストレスだからね。
自分は人にストレスを与えているだろうけど(笑)」
皆さん、どう思われますか?
この人は、「ストレスは万病の元」だと言っています。
そのストレスを、自分は人に与えていると平然と認めています。
自分が他人を病気にさせていることを認めているのです。
そのくせ、自分は他人からストレスを受けることはないから、どんなにひどい食生活を送ろうが、病気になることはない。。。
なんともまぁ、ひどいいいぐさ。
呆れてものも言えませんでした。
自分は人を病気にさせているけれど、自分は健康だからいい。
実際、この人は私から見ておそらくHSPと思われるひとりの男性を鬱病にさせて、その環境から追い出してしまいました。
そういう事情があっただけに、 私はデリカシーのかけらもないこの発言を許せませんでした。
デリカシーのない人との付き合い方
これまで、デリカシーのない人に関する実体験を書いてきました。
ここからは、このようなデリカシーのない人とどのように付き合っていけばいいかについて私の考えるところを書いていきたいと思います。
家族の場合
私の母のケースのように、家族にデリカシーに欠ける人がいる場合はどうしたらいいでしょうか。
私が思うに、家族は人生でもっとも大切な存在です。
母と私のあいだに様々な確執があったことは事実ですが、それでも私は母のことが好きです。
この歳になってもまだ、「母に本当の自分を理解してほしい」と望んでいる自分がいます。
私が若かった頃には、HSPという概念はありませんでした。
でも今は違います。
テレビでHSPの特集が組まれ、HSPに関する書籍もたくさん販売されています。
こういった番組を一緒に見たり、書籍を一冊渡して「読んでみて」と頼んでみてはどうでしょうか。
「HSPという生来の気質がこの世の中に存在する」ということが客観的に示されれば、HSPのことを理解しようと思い始める可能性が十分にあります。
感情に任せて「私のことを理解して!」と叫ぶよりも、客観的な証拠ともいえる書籍や番組を見せるほうが、相手も受けとめやすいはずです。
他人の場合
デリカシーに欠ける人が他人の場合、番組や本を勧めるのは難しいですね。
それになにより、その人の考え方を私たちHSPがわざわざ変えてあげる必要はないです。
その人がデリカシーのない発言をし続けることによってどうなろうと、わたしたちには知ったこっちゃないのです(アドラー心理学でいうところの「課題の分離」です。詳しくは、この記事の最後にご紹介する過去記事をぜひご覧ください)。
デリカシーのない他人との付き合い方、それは「付き合わない」ことです!
HSPの人は優しくて友好的なので、どんな人とでも話し合えばわかり合えるとつい思ってしまいがちです。
実際、過去の私がそうでした。
心のなかで「この人、苦手」と思っていても、笑顔で話しかけ、なんとか仲良くなれたらいいのにと願っていました。
本当にバカげたことをしていました。
無駄骨もいいところでした。
そんなことをする暇があったなら、自分のことをもっと大切にすればよかったです。
「この人、ほんっと~にデリカシーないな!イヤだな!」と思ったら、なるべくその人と接触する回数を減らしましょう。
私の得意な「逃げる作戦」発動です!
いかがでしたか?
デリカシーのない人が家族の場合と他人の場合にわけて、その対処法について述べてきました。
HSPのみなさん、ご自分がもっとラクに生きるにはどんなふうに人と付き合っていけばいいかを、ぜひこの機会に振り返ってみてはいかがでしょうか😊
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家族に読んでもらうのに最適な書だと思います。
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最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回、ここでお会いしましょう。
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★本記事で出てきた「課題の分離」については、次の二つの記事で詳細に述べています。よかったら♪