この世界は情報に満ちています。
疫病の蔓延により、対面からネット上での交流が盛んになると、この流れはますます加速したように思われます。
とりわけ、【どうしたら手っ取り早く成功できるか】という類の情報は、どれが本当なの?と疑いたくなるほど、巷(ちまた)にあふれています。
とにかく速く、最小のコストで。
そんな合理性が求められる時代です。
合理性を追求する人々は「どうすれば手っ取り早く、他人の心を動かせるか」について考えていることでしょう。
人の心を動かして、彼らが販売する商品・サービスの購入に至らせるためです。
様々な情報が飛び交っていますが、結局のところ人の心を動かすものというのは:
①ちょっと面倒だなと思うことを、相手の立場になって、あえて行動する心遣い
②共感を呼ぶストーリー
この2つなのではないかと思っています。
今日は、私が最近体験したことを元に、上記①の心遣いについて考えてみたいと思います。
心を動かすメールの文面
私は大学の非常勤講師をしています。
学期末になると定期試験の採点をするのが常ですが、今年度はコロナの影響で、試験からレポート課題に切り替わりました。
学生たちは各々、書き終わったレポートを私にメールで送ってきます。
実に様々な子がいて、毎度まいど、本当に驚きます。
どんな子がいるかをご紹介していきたいと思います。
プラスな印象のメール
- 「一年間、お世話になりました」と感謝を述べる子。
- 「いつもお世話になっております」「よろしくお願い致します」という子。
- 「質問にも丁寧に答えてくださり、ありがとうございました」という子。
- 「またどこかでお会いできることを楽しみしております」と書ける子。
- 「コロナもまたひどくなってきたので、お体に気をつけてください」という子。
1ー5番には、採点者である私への配慮が見られます。
学生たちにしてみれば、正直なところ「チッ、こんな面倒な課題を出しやがって」というところかもしれません。
ですが、採点する方の私だって、相当の労力がかかるわけです。
「先生はお金をもらっているんだから、それくらいの労力を払うのはあたりまえ」くらいに思っていたら、上の5つのようには書けないでしょう。
特に感心したのは、4番と5番です。
これは、なかなか書けるものではありません。
若い子の中にも、こんなふうに心遣いのできる子がいるのだなぁと思い、なんだか嬉しくなりました。
そして、来年度も学生たちの役に立てる授業をしようと、力をもらえました。
マイナスな印象のメール
続いては、私がガッカリしたメールです。
- 本文なしで、レポートだけ貼り付けて送ってくる子。
- 宛名(つまりここでは「マリベル先生」という呼びかけ)のない子。
- 「送れていますでしょうか?」と、自分の課題が届いているかどうかにだけ、気を取られている子。
- 携帯メールからレポートだけ貼り付けて送ってくる子。宛名も自分の名前も書いていない。
宛名もなければ、本文もない。
相手(私)に対する配慮はゼロです。
「ほらよ、送ってやるよ。これでいーんだろ」とでも言いたげな。
自分の名前すら書いてない子までいたのですが、一体どういうつもりなのでしょう?
レポート課題に記名してあるからいっか、ということなのでしょうか。
これらのメールを見ていて思いました。
きっと、面倒だったんだろうなって。
その「面倒だ」と思う気持ちと、「相手を敬う」気持ちを比較し、前者が勝った人が送りつけてくるメールが、これら4つなのです。
採点者も人間
学生たちに言いたいのは、「採点者もひとりの人間だ」ということです。
【マイナスな印象のメール】を送ってきた彼・彼女らは、友人にメールを送るときにも、果たしてこのようなメールを送るでしょうか?
決して送りませんよね。
採点者を人間扱いしていないから、あのようなメールを送りつけることができるわけです。
まぁ、メールの文面によりレポート課題の点数が左右されるわけでありませんが。
でも、「同点の2人のうち、どちらかひとりだけを合格させよ」というような場面では、メールの文面の差が考慮されるはずです。
面倒だなと思う場面でこそ
昨年あったこと
少し話が変わります。
昨年、父が他界しました。
そのことを、当時仲が良い(と思っていた)友人たちが集っていたインスタグラムで報告したときのこと。
お悔やみの言葉を別途、LINEで送ってきてくれたのはおひとりだけでした。
★そのときのことは、こちらの記事で書いています👇
詳しくは、上の記事をご覧になっていただきたいのですが、
しばらくして「あぁ、面倒くさかったんだろうな」と思うようになりました。
なんていったらいいかもわからないし、なんか面倒くさい。
悪気は全然なかったのだと思います。
ただ、その「面倒くさい」を踏み越えて私に寄り添ってくれる人はひとりしかいなかったんだな、ということです。
Twitterを始めてみて
このブログは昨年の6月中旬に始めたのですが、なかなか【はてなブログ】の読者登録数が増えず(これは私の力不足です)、アクセス数も低空飛行が続いていました。
このままだと、ブログを継続するモチベーションが…
と不安になった私は、思い切ってTwitterでブログ仲間を探し始めました。
正直なところ、Twitterに対してちょっとした恐怖心みたいなものもありました。
どんな人が絡んでくるかわからないからです(実際、いちど試みたときには詐欺師みたいな人たちがゴロゴロ寄ってきました笑)。
ですが、今回は特に問題なく発信することができています。
さて、そのTwitter。
自分の思考を独り言のように発信するのは、容易ではないものの、独り言だと思えばそんなに肩肘をはる必要もないように感じています。
大切なのは他のユーザーに「話しかけにいくこと」です。
私はがんばって、他の人達にコメントをするようにしています。
というのも、【他の人が発する意見や思考にひと言加えて返す】という作業は、一般的に考えて、「ちょっと面倒くさい」ことだからです。
ものすごく面倒なわけではないけれど、ほんのちょっと面倒くさい、という感じ。
でも誰だって、自分が発信した内容に具体的な反応がもらえたら嬉しいですよね?
ただ【いいね】を付けてくれるだけでも十分うれしいですが、コメントがついたら、「自分に興味をもってくれているんだ!」と思えます。
自分という存在が、軽視されていない、と感じることができると思うのです。
人の心を動かすものとは
学生からのメールしかり、Twitterしかり。
目上の人へのメールの文面を考えるというのは、若い人たちにとっては敬語の問題などもあり、面倒なことでしょう(敬語など正しく使えていなくても、気持ちが伝われば十分なのに)。
親族を亡くした人に、なんと言ったらいいか。
考えるのはちょっと面倒です。
そもそも、そこまでの仲でなければ、もっと面倒です。
Twitterの呟きに、どう反応するか。
相手は、何を求めて呟いているのか(ほとんどの場合、共感です)。
それを読み取って、適切な言葉で返す。
…ちょっと面倒くさいですね。
でもこの「ちょっと面倒くさいこと」に取り組む姿勢が、人の心を動かすのだと思います。
つまり、人の心を動かすものというのは、【ちょっと面倒だなと思うことを、相手の立場になって、あえて行動する心遣い】だということです。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
また次回、ここでお会いしましょう。
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