マリベルの気ままにまたたびNyavi

大学で非常勤講師をしている47歳兼業主婦のブログ。迷ってばかりの毎日だけれど、楽しむことと挑戦する気持ちを忘れたくない。

【四十九日】ちょっとした「情」の塩梅【人生観】

先日、亡き父の四十九日法要のため実家に戻りました。

九月に父を失くしてから四十九日法要までのあいだ、見えていなかったものが見えるようになりました。

何がかっていうと、「人間」っていうものの本質ーすなわち人間の寂しさ、つまらなさ、そしてあたたかさといったものです。

 

せっかくなので、いま感じている様々なことをブログに残しておこうと思います。

葬儀は密葬で

葬儀はいわゆる「密葬」でした。

父は大企業の重役まで務めた人なので、亡くなったといえば葬儀に参列してくれる人は大勢いたはずです。

でも、私の母がそれを嫌がりました。

 

というのも、母自身がここ一年ほど体を壊し、ほぼ寝たきり状態だったため、そういった外部の人達に十分な対応ができないと考えたからです。

 

私には年の離れた兄がおり、そういった一切合財を兄に任せればいいのにと思ったのですが、母としては多忙な兄(とそのお嫁さん)を煩わせたくなかったようです。

 

葬儀は身内だけで行われたため変に気を遣わずに済み、私個人としては父を十分に悼むことができて、密葬も悪くないなと感じました。

 

会社の対応

そうはいうものの、亡くなったことを誰にも伝えないわけにはいきません。

母は、父の会社に一応の報告をしたそうです。

 

しかし、父が懇意にしていた同年代の人たちからは梨のつぶてだったそうで、高齢の母は「世の中っていうものは、案外冷たいもんだ」と感じたそうです。

兄は「同年代ってことは、みんな似たりよったりの状況なんじゃないの?(つまり、亡くなったか入院しているか、施設に入っているか…ということ)」と言っていましたが。

 

その後、会社の代表者数2名が家を訪れ、お悔やみの言葉を述べてくれはしたものの、母は「あれだけ会社に尽くしたのに。。。なんだか寂しいもんだね」と語っていました。

 

だったら密葬にしなければよかったのにと正直思いましたが、まぁ母の立場や気持ちは十分に理解できます。

 

「情」とは

そんな中、母から連絡があり「○○さん(以下「Aさん」とします)が、お仲間8人を連れて四十九日法要に来てくださるそうよ!」というではないですか。

 

Aさんというのは、生前父が可愛がっていた後輩です。

昔からの知り合いで、如才ないニコニコとしたおじさんです。

 

父のことをAさんに伝えた当初、Aさんは自分ともうひとりで行くと言っていたそうですが、母の気持ちを読み取ったかのように「やっぱり総勢9名で伺います」と後日連絡をくださったそうなのです。

 

四十九日法要の日、背広を着た定年前後の男性陣9名を目にした母は、心の底から嬉しそうでした

おひとりおひとりが、父の墓前で手を合わせてくださっている姿は、私にとっても胸がジーンとなる光景でした。

 

 

「あぁ、「情」っていいもんだなぁ」

 

そう思いました。

 

帰宅後、筆無精の母から「私の代わりにAさんにお礼のお手紙を書いて」と頼まれ、いつもなら断る私も今回は喜んでお受けしました。

 

Aさんがいらっしゃらなかったら、母の心は重く沈んだままだったのではないかと思っています。

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Aさん、ありがとう。

人付き合いは面倒だが

人付き合いはたしかに面倒です。

人が結婚した、子供が生まれた、死んだと聞けばお金も飛んでいきます。

 

実際母も「ご近所さん、うちのお父さんが死んだことを知らないわけはないのに、誰ひとりとしてお悔やみの言葉を言ってくれない」とこぼしていました。

お悔やみを下手にいうと、「お香典」の3文字が頭に浮かぶからかもしれません。

でももちろん母はそんなものは望んでいません。

母がほしかったのは、「寄り添ってくれるちょっとした心」だったのだと思います。

 

それでも母は言います。

「下手に優しくすると、相手は年寄りだから、そのまま何か手伝わされたり面倒なことに巻き込まれるんじゃないかと思って、嫌なんだろうねぇ」

。。。たしかにこれは否定できません。

 

ご近所さんの気持ちも正直わかります。

 

この、「相手にちょっとだけ寄せる情」みたいなものって、塩梅が難しいですよね。

そのちょっとした情が、どれだけ人を慰めるかということを私は過去の経験からわかっているのですが、今の自分が同じことをできるかどうかは微妙なところです。

 

UターンしたBくん

新卒で就職した会社に、Bくんという同期がいました。

Bくんは宮崎県出身で、就職で東京に出てきていました。

他の同期はほとんどが関東出身で、Bくんについて私は「ちょっと同期のノリに合わせるのがしんどそうだな」という印象をいだいていました。

 

1年ほどの月日が流れ、ある日Bくんが退社したとの知らせを耳にしました。

営業に配属されたBくんですが、心を病んでしまい、地方公務員として出直そうと宮崎に帰ることにしたとのことでした。

 

その知らせを聞いた私は「やっぱり」と思うと同時に、なぜだか無性にBくんのことが気にかかりました。

Bくんとは特に仲が良かったわけでもなく、新人研修の際に同じグループになって少し活動を共にしたくらいの関係でした。

 

でもなぜか私は無性にBくんに手紙が書きたくなったのです。

ひと言でいいから「Bくんは何も悪くない」ということを伝えたかった。

内容については、もう25年も前のことなので忘れていまいましたが、その場所が合わなかったことはBくんのせいではない。BくんにはBくんが輝ける場所が必ずある。そんなようなことを書いたと思います。

 

数日後、Bくんから電話をもらいました。

まさか電話がくるとは思ってもいなかったため、大変驚きました。

 

「本当にありがとう。手紙に救われたよ」

 

Bくんはそう言ってくれました。

 

Bくんとの交流はそこまでで、いまBくんがどうしているのかはわかりません。

でもきっと、宮崎で元気に暮らしていると信じています。

 

あの日、私はBくんに「ちょっとした情」を寄せました。

それがBくんの慰めになったと知り、私自身も慰められました。

 

でも、いまの社会では情を寄せることには危険も伴います。

塩梅が本当に難しいと感じます。

 

この「ちょっとした情」のかけ方というものは、相手を見なければいけないものでもあります。

依存心の強い人にかけてしまったら最後、こちらの生活まで危うくなりかねないからです。

 

難しい。。。非常に難しい問題です。

 

ですが、父の会社のAさんがかけてくださった「情」をこれからも忘れずに、いつか私もAさんのようなさりげない「情」をかけられる温かい人間になれたらいいなと思っています。

 

合理的であることばかりがいいんじゃない。

時代が変わっても、やっぱり「情」は人間の美徳のひとつだ。

 

そう実感できた出来事でした。

 

★父の他界以降、感じた内容はコチラでも書いています👇 

mabelle.life

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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